私の母 後に闘病日記

母のこと
私の母はもう70を過ぎています
戦争も体験しております
兄嫁がきつい方だったようで
毎日邪魔物扱いだったようです
そして時代のいたずらでしょう
今のように結婚相手を選べる時代ではなく
とにかく家を出たい一心で
結婚をしたようです
物心ついたときから
母は私に愚痴をこぼしていました
戦争のこと 兄嫁のこと
父とのこと お姑さんに対する恨み
そして私たちが成人したら別れる別れると
口癖のように申しておりました
精神病院にも行ったと
常々聞いておりました
父との夫婦生活も
ただ子供を産むための行為
苦痛で仕方がないようであり
そして今では
肩を触られるのも苦痛であるようでした
さて毎日のように
母の愚痴を聞いて育つ子供は
どんな想いでしょう
どんな性格になるでしょう
自分たちのために
母は父との生活を我慢して暮らしている
現実から逃れるための結婚
夫婦としての愛の無い暮し
そして自分にも襲い掛かるかもしれない
心の病の遺伝に対する見えない恐怖
そういうものを
毎日聞いてあげなければならない
子供にとっての悲劇
これで明るくなれますか
これで友達に心を開けますか
これ以上母の心に負担をかけられますか
自然と私は暗い性格の笑わないそして
親に負担をかけない
良い子として育っていきました
もちろん暗い子供は
同世代からのいじめの対象になります
いじめられても
母に負担をかけるわけにもいかず
すべて自分の心の中に仕舞い込みました
しかし母はきららにこぼすことでしか
自分の心を支えることができない人でした
人間関係をもっとも苦手とする人でした
そしてそういった行為が
子供にどのような影響を与えるかも
考えることもできない人でした
そういった家庭環境で私は育ちました


2002年頃

母の言葉 私の想い(公園での散策で)
公園の散策を母と肩を並べ
ゆっくりゆっくり共に歩きました
その時の母の言葉です

ああ ここに来れて良かった
娘とこう言う所歩けて良かった
私は幸せだな
こんな幸せは無いな


しかし それは私も同じ事です
実家に帰ると娘に戻れます
言葉無くても親の愛感じます
そして こうやって普段なら来られない
こういう所へ連れてきて貰い
親と一緒に肩を並べて歩ける幸せ

もう二人とも高齢なのに
取りあえずは元気です

母が想うように私も娘として幸せです

親の愛 尊いな
親に愛されて育った私 幸せでした
大した孝行もしない私なのに
いつも愛してくれます
包んでくれます

どうもありがとう お母さん お父さん
ずっと長生きして下さいね
こういう思い出
増やしていきましょうね
どうもありがとうございます


2003年になってから

9月22日(日)
病魔
母の姉が病の床についているという
母と父は会いに行ってあげたそうだ
病は思いの外悪く、
余病まで患っていて
これが今生の別れになるやもしれず
さぞかし寂しく
離れがたかったことであろうと想われる

その姉は母とは最後の血の繋がった
姉妹である
母はお陰様で優しい兄弟に恵まれた
しかし その姉がいなくなったら
血の繋がった親も兄弟もいなくなる


叔母には私も
何度か遊んで頂いた記憶がある
ふと 私も叔母に会いに行きたいと想った
けれど片道5時間以上かかる道のり
日帰りは大変きつい物がある
子供がいて 翌日学校があり
主人も出張となれば
おいそれと家は空けられない

そう想っていたら
母からの電話が鳴った
叔母の知らせかと思いきや
母自身の病気の話であった
以前から胸が痛かったそうである
けれど検査を避けていた
しかし今回のことがあり
病院へ向かったそうである
一般の医者から紹介状を持たされて
専門の医者へ
そして
検査入院と手術が告げられたそうである

今の所母は食欲もあり
見た目も元気そうであり
仕事もしている
勿論家事も立派にやり遂げている

しかし直に80の声を聞く

もしもの時の父の事を頼まれた
まるで遺言のようでいやだったが
話せるときに話しておきたいと言われた

病気に関しては私は何とも言えない
軽い病気であることを祈るばかりである


9月28日(土)
できもの
母の様子が知りたくて実家へ行ってきた
初めてそのできものを見た
予想以上に大きかった
正直ショックだった
思わず涙が出そうになった
しかし母の前なのでグッと我慢した
母は10月に検査入院をする
手術前提らしい
重い病気でありませんように
私はただ祈るだけ
励ましてくることしか出来なかった
人は無力だ


10月2日(水)A
母の病気
母が昨日検査入院をした
そして今日弟から電話がかかってきた
何とその医者は検査結果も出ていないのに
母と父に母はガンであると告知したそうだ
しかも手術で切った後は
他の医者へ行っても良いと
なんだったら他の医者に
切って貰っても良いと
なんという言いぐさであろうか
「もうあなた助からないよ」
私にはそう聞こえる
思いやりのかけらも感じられない
マタギキであるので
正確なところはわからないが
ひどい医者に当たってしまったような気がする

旦那とメッセで話をしていたら
じわじわと哀しみが押し寄せてきた
旦那も相当ショックのようだ

良い医者を捜したい
楽しい思い出を
今からでもつくってあげたい
悲しみに暮れる最期は迎えさせたくない


10月4日(金)@
私冷たいのかな?
「私の母はガンになりました」
そう伝える自分がいます
笑顔で接客できる自分がいます
私冷たいのかな?
でも家にいてガン関係のサイト見ていると
旦那とメッセで母の話をしていると涙溢れます

悪性なのだろうか?良性なのだろうか?
わからないことばかりだ
良い医者はどこだ
どうすればよいのだ
わからないことばかりだ

今日は一日
母の所に行ってついていてあげたい


10月5日(土)
又聞きの恐ろしさ
母の所へ行ってきました
涙に暮れているかと思っていたら
意外と元気そうでした
病院にいる物と思っていたら家にいました
そしていろいろ話を聞きました
先生から話を伺った経緯も聞きました
間違った情報が私に流れたようです
やはり90%の確立でガンであるようです
父が帰ってきたので話を聞きました
母と父の話が食い違います


もしかしたらそんなに
心のわからない医者では
無いのかもしれない

弟・父・母
私は3人から話を聞いた
全て内容が違う
又聞きは怖いね
どれが真実かわからない
次は私が
お医者様の説明に立ち会おうと思う


10月12日(土)B
母のこと
母の検査結果を聞いてきました
違う病院にも行きました
方針が決まりました
しかし母は家に帰り落ち着いて考えると
その方針と自分の意思が
違うことにとまどいを見せます
そして自分の意志を尊重したくなります
しかし息子夫婦に説得されまた揺れます
自分で納得していない治療法
けれど 周りの気持ちも汲みたい
しかし 決心がつかない

私もメールなどで
いろいろ教えていただいたお話をします

家族中が揺れています
電話してくるたび 話が違います
こちらの気持ちも大きく揺さぶられます
自分がどうすべきかわからず
揺れている母の姿があります
突然突きつけられた「病魔」
とまどいがあるのは当然です

しかし みんな揺れます


もう何も治療したくない本人
最悪の場合を恐れ
治療を受けさせたい周りの者達
本人の気持ちと周りの気持ちが
ひとつにならず揺れ続けている
それが今の現状です

母の気持ちを優先させたいという気持ちが
家族には少ない気がします
しかしそれは意地悪をしているのではなくて
本人に良かれ 最善と思う方法を
選択しているのです
両者の気持ちが
寄り添わねば動くこと出来ません


私は母に下駄を預けます
どうしたいのか
そこを決めて貰わねば動けません


10月14日(月)
振り回される
母に電話をかける
その度言うことが変わる
自分の気持ち無理矢理納得させて
周りに気を遣う
「〜〜に悪いから」
そうやって自分をごまかす

その選択が積極的な物であるなら構わない
しかし マイナスからの選択に感じられる
今では 私の電話も迷惑のようだ

その度に揺り動かされる自分の心
むなしさそして哀しさが残ってしまった

いっそ突き放すか
そんなことは出来ない
けれど、、、
私には何が出来るのだろうか

何をなすべきなのだろうか
わからなくなってきた


10月19日(土)
母のこと
母と最後に電話で話をしたのは月曜のことだ
その時の話の終わり方が
母が私を迷惑がっているように感じられ
それ以来私から母へは
電話をかけていない

数日後母から手紙が来た
母も父 息子 そして 娘 近所の人と
いろいろな立場の人が皆違う事を言うので
気持ち 心振り回された様子だ
その気持ちは良くわかる

病気に関しては
どれが正解って無いだろうから
悩みとまどうのも当然だ

でも信仰が母を決心に導いたようだ
手術を受けると
その文面には決意が書いてあった

手術を受ける前に
違う医者に診て貰うという
選択肢もあるのだが
当の本人にとっては
それもしんどいようである

母の人生だ
母が下した決定に従いたいと思う
けれど手術まではまだ間がある
きっと母は何度も揺れるに違いない

その後母とは連絡を取っていない
親不孝とは思うが
何故か返事を返せない

もうすぐ最初の検査である
その時は病院まで付き添って行く
その前の晩から泊まるつもりであるので
その時に話が出来るであろう


10月21日(月)
母からの追伸
母から追伸が届く
私が母を思っている気持ちはわかっている
私の家族を大切にして欲しい
あまり母のことで心配し過ぎなくても良い
自分の家族や
自分の気持ちを大切にするように
そう書かれていた
なんか立場が逆だね

今日母のところへ行くのは
取りやめになった
父が病院へ行くらしい
頼りない娘だね
なんだか今日一日
自分の情けなさを感じてしまいそうだわ

ゴロゴロとしていて
無為に時間が過ぎていく


10月25日(金)A
検査通院
母の検査についていった
予約してあるだけにさすがに
何時間も待たされると言うことは無かった
しかし 造影剤を投入したせいであろうか
直後から母が震えだした
これは副作用のせいであろうか
しかし寒気も吐き気もしないようであった
しばらく椅子に座らせて様子を見る

話こんでいくうちに母はどんどん鬱になる
本当は切りたくない
けれど切らなければ
先生に 父に 息子達に迷惑がかかる
でも切りたくない
揺れている
違う病院に行くのも力がいる
又みんなに迷惑をかけてしまう
揺れる揺れる母の心

私は母に
「お母さんの人生なんだ
私はお母さんの決めたことに従うから」
そう言葉をかけるしかなかった

不安で寂しくて哀しくて悔しくて辛くて怖くて
仕方なかったのであろう
母はなかなか私を離してくれなかった

母のこと気にはなるが
我が家の子供達のことも気になって
家まで送ってあげることは出来なかった

娘であり 同時に母でもある自分
自分の出来ることには限りがある


振り回される患者
母の検査に行きました
造影剤を注射して震えがきましたね
なんとその日の晩
母はもどしてもどして
フラフラになってしまったそうです
父は真夜中に
母を病院に連れていきました
そしてその際 頭部のCTを撮ったところ
多発性脳梗塞の影が見えると言うのです

翌日以降病院に来るように
勧められたそうですが
多忙な父は
一度も母を病院に
連れてきていませんでした
そして 私にも
何も連絡を寄こしていませんでした
連絡さえくれれば連れてきたのに・・・

担当医の
外科の先生のところへ行きました
先生は今までの検査データを眺めながら
う〜んとうなっています
しばらくすると
皮膚科へ連絡を取っています
母の病状は乳ガンではなく
皮膚癌の疑いが出てきたようです
皮膚科で生検をする事になりました

皮膚科の先生から、
もしかしたら癌でも無いかもしれない
と言うお言葉を頂きました
私達は喜びました
やっぱりねという思いもありました

さて 他の科の受診を終え
再度外科の先生の所へ
すると1日入院を早めるよう言われました

生検の結果はいつ出るのですか
こう伺いました
すると
「もう出ましたよ
乳ガンのようですと
皮膚科から連絡がありました」
こう告げられました
新しい病気も見つかってしまいました
検査が増えます

思い起こせば
町医者に行き
違う病院に行き
生検もせずにがんと告げられ
総合病院で 乳ガンかも
もしかしたら 皮膚癌かも
いや 潰瘍性皮膚炎かも
最後は乳ガンです

ほんの少しの
与えられた希望にぬか喜び
検査をしてみれば
やはり乳ガンで 頭部には脳梗塞が
この日の私達は
心浮き上がったり沈められたり
 振り回されっぱなしでした


11月6日(水)
父との喧嘩
旦那の母 つまりお姑さんから
私の母が入院するときに使ったらよいと
寝間着などを送ってもらった
それを届けにじーちゃんちへ行く
しかし 私は父と喧嘩を始めてしまった

実はCTの検査をして
母が具合が悪くなったことを
私にだけ
次の検査日まで知らされていなかったのだ
もし知らせてくれていれば
私が母を検査に連れていったのにとの
思い広がる

母の患部もおできの部分だけでなく
他の部分も黒く変色していたのだ
患部を良く見せてもらっていない私は
先生に患部だけ取る手術をお願いした
もしかしたら見当違いのことを
お願いしてしまったのでは無いだろうかと思う

また何より実の娘に知らせない
それが私にとって切なく歯がゆかった
そんなに私は当てに出来ないか
頼りないのか
心はとても卑屈になっていた

そんなことがあり
情報はしっかり伝えて欲しいと言ったことが
父の気に触ったようだ


うるさいな
オマエは文句を言いに来たのか
そう 私は父に怒鳴られた

そこで私が折れれば良かったのだろうが
そうは出来ず 変わりに
ちゃんと知らせてくれなければ
動きようが無いでしょう
そんなに私が頼りないのなら
みんな自分達でやりなさいよ

そう言い捨ててじーちゃんちを後にした

父と私の間でおろおろする母
私に知らせなかった
自分が悪いと自分を責める母
そんな母を見ているのは辛いが
自分の存在に固執していた私は
母の気持ちより
自分の気持ちを優先させてしまった


11月6日(水)A
頭部の検査
父と喧嘩した翌日は
急きょ入った頭部の検査だ

昨日父と喧嘩した時点では
父だけが病院に連れていくことになっていた
母の本音は私に付いて行って欲しいようだ
翌日母から電話がかかってくる

私が一緒に付いてきて貰った方が心強い
しかし 病院で父と私が
喧嘩をするのは困るという

母からの電話が無くても
自分で病院へ行こうと思っていた私は
父とは話をしないと言うことで病院へ行く

今回はMRIも行う
その際造影剤を使用することがあるらしい

母は以前造影剤で苦しくなった事を思い出して
落ち込んでいる
使わないように検査官にお願いをする

2つあった検査は順調に進み
入院手続きも済んだ
父とも言い争うこともなく
後は入院するだけとなった
これで良かったのかどうかはわからないが
取りあえずほっとしている

しかし 人は病気になると
本人だけでなく家族も巻き込む
家族は家族で自分の生活という物がある
全てやってあげたいがそうもいかない
健康のありがたみにつくづく感謝する
又 仕事を持ちながら
いろいろ良くやってくれる
弟夫婦にも頭が下がる

母には心配して世話をしてくれる家族がいて
きっと幸せだと想う
後は病気にうち勝つぞと言う
強い意思をもって望んで貰いたい

今はもう静かに手術の無事を祈るだけである


11月8日(金)
母の手術
手術に行ってきました
予定より2時間遅れて始まりました
先生は母の希望を受け入れてくれて
患部だけ取っていただきました
その患部も見せていただきました
それは案外大きく
又心配なことも発見されました

入院は2週間、その後毎日放射線治療です
母と家族にとって
今回の手術は出発地点に過ぎない
との思い強くしました

闘病はまだまだ始まったばかりです


11月9日(土)
術後1日目
落ち込んでいるかなと思い病院へ行く
痛み止めが効いているのか 穏やかそうだ
食事も温かく 美味しそうで
看護婦さんも良くしてくれる
点滴も取れた
夜も静かに休めそうだ

母の穏やかな表情を見て 私も少し安心し
心軽く家に帰ってくることが出来た

闘病はこれからだ
でも本人の気持ち奮い立たせ
家族みんなで支えていけたらなと思う


11月16日(土)
ちょっとだけ弱音
母のことがあるので
仕事は遅い時間にして貰っている
けれど生活時間が乱れて
疲れがたまり始めてきた

母のこれからも一体どうなるのやら
全くの未知数

放射線治療は辛いと聞いた
支えたいがこのままでは自分も共倒れ

全てを行うのは無理
何か策を考えねば


11月18日(月)
講習会
癌の免疫治療の講習会に行って来た
先に母の所へ寄ると
塩分制限が出ているにも関わらず
海苔の佃煮を食していた
「大丈夫だと思った」
栄養士の話を聞いているにも関わらず
この程度の認識
少し困ったことだなと思った

さて 講習会
「免疫治療」耳慣れないと思う
癌の治療と言えば
手術・放射線・抗ガン剤・
ホルモン療法などが有名だ
しかし近年話題にのぼってきているのが
「免疫治療」である
免疫力を高めると言えば
有名なのが「アガリスク」あたりか
確かにリンパを刺激するのは良いが
その効果長続きしないそうだ
一緒にハーブ系アミノ酸を
併用すると良いらしい
けれど、とてつもなくお金がかかる
歴史も浅い 認知度も低い
母に話をしてみるつもりではあるが
母はこの治療を受け入れるか否か

講習会の後
参加者の1人と御茶をした

彼女も私と同年齢くらい
既に術後3年だという
しかし必死に勉強をして癌と戦っている
なんだか話をしているうちに
重い気分になってしまった
けれど勉強は続けねば
情報は黙っていてはやってこない
戦うには敵と兵法を知らねばならない


11月27日(水)
その後の母
先週母は無事退院しました
そして昨日より放射線治療が始まりました
辛いと聞いていた治療ですが
どうやらこれは杞憂に終わったようです
放射時間は10分くらいでしょうか
特に疲れたと言う様子はありません
取りあえず一安心です
そして本日は外科の外来です
リンパの腫れもなく
副作用が強いと言われる
抗ガン剤投与もなく
抗ガン作用はある物の
もう少し穏やかな
ホルモン療法に落ち着きました
28日分のお薬を頂いたので
次回は1ヶ月後と言うことになります
その際は私がつきあう必要もなさそうです
傷口も痛みもなく 本人食欲もあり
割と元気で毎日暮らしているようです
思い切って手術して
良かったんだろうなと思います
けれど戦いはこれからです
気を引き締めて 風邪などひかないよう
また塩分も抑えるように
注意するように伝えてきました


11月27日(水)
同病仲間
母の担当医師は週1回の外来です
そのせいでしょうか
患者さんのあふれること
今日も3時間待ちでした
この先生は丁寧に
患者に向き合ってくれるので
時間も当然かかります
それは仕方のないことだと思います

さて 3時間も待つ間
もともとおしゃべり好きな女性達が
待合室にあふれます
同病のよしみでしょうか
会話がはずみます
皆さん 遠いところからみえているようで
片道2時間かけてきています
すごい人になると
訳あって新幹線で来ています

お若い方も多くいらして
この病気は年齢では無いんだなと
思ったりしました
違う科にかかっていて発見が遅れた方

先生も見つけられないほどの小さな癌を
御自分で触診で見つけた方等様々でした

でもね 皆さん一様に明るいの
勿論病気に対する不安はあるでしょう
けれど落ち込むだけではない
与えられた試練を乗り越えて
前向きに生きようとなさっている
その姿 とても多くのこと教えられます
遠くから出てこられた方は
デイズニーに行くことを
楽しみにしていましたね

病気になっても
前向きに生きることの大切さ
懸命に生きる姿
彼女たちの姿はとても輝いていました


一緒にお話しさせていただいて
また少し病気に対する理解深めました

人との出逢い
色々な知識や想い 頂いてきました

皆さんどうぞ お大事に
そして人生を前向きに
生きていかれて下さいね


母と同じ言葉
ごめんね 又ちょっと暗いんだ

鬱の話を兄ちゃんとしていた
そして兄ちゃんにこんなことを言われた
「なんか母さん楽しそうではないね
落ち込んで
ただ何となく生きている感じだよ」
「ああ そうかもね
死ねないから生きているだけだよ」
気がついたら
私の母と同じ言葉を口走っていた
毎日が楽しくないとこぼしていた母
こんな気持ちだったのだろうか
思いもかけず
母と同じ事を言っている自分に驚いた

優しい旦那様
ごめんね こんなこと書いてしまって


2003.3現在
母の病気は今の所問題もなく
定期検診も間が開いてきたようです
今後どうなっていくかはわかりません
静かに様子を見ていくしかないのでしょう