日々のつぶやき 過去日記より抜粋

所詮きららはそんなもの
ゴメン今はそんな気持ち


素直にならなきゃね
悪いときはもっと悪くなる
当たり前のこと
もっと素直にならなきゃね


貴方の胸に顔を埋めて
大声で泣き尽くしたい
優しく髪をなでて貰いながら
優しい言葉をかけて欲しい
そんな気持ちで寝たんだけれど
夢の中では拒否された
泣きながら目が覚めた


意味のなかったこと
何も伝わらなかった
何も信じてもらえなかった
何もわかってもらえなかった
私がしたことは貴方を傷つけだけ


血液であったなら
ああ
私の流す涙が
血液だったら良かったのに
そしたら
消えて無くなれるのに

どうかこれも必要なことだった
思い出話に出来ますように

貴方に安らかで穏やかな日々が訪れますように




今は時の優しさにすがるしかない
時に希望を託すしかない


ゴミ
今朝歩いていて思ったこと
それは乱雑に散らかるゴミのひどい有様
そこは車がゆっくり停められる場所らしくて
車からポイ捨てしたと思われるゴミが一杯
それをカラスがつつく物だから汚い汚い
そして次に目立ったのはたばこの吸い殻ね
道と言い 河原と言い 公園の芝生と言い
至る所にたばこの吸い終わった後の
無惨な姿がここかしこ
子供達の美化運動にも
気が向くと参加しているけれど
学校のそばだろうが
公園だろうが 吸い殻の目立つこと
たばこは建前上20才以上の嗜好品
子供達はどう想うだろうね?
しかもたばこを
何でも口に入れたい盛りの子供が食べたら
それこそ一大事
そう言う事たばこを吸う人は考えているのかな?
別に吸うのは結構←個人的には嫌いだが
だけど 灰皿無いところで吸うんだったら
マイ灰皿持ち歩いて欲しい
なんて思っちゃうのは余計なお節介?
だけど出来るところから大人が直していかないと
子供は大人の姿よく見ているからね
ますます自己中のお子ちゃまが
出来ていくんじゃないかしら?
願わくば
ここに来ている方達に
少しだけでも考えてもらえたら
ちと 嬉しいな
でもウザイとも思われるかもしれない
まあ これがきららの本音
どう想われても仕方ないね


ゴミ置き場
お正月はゴミ収集車も来ないから
年末年始の各家庭のゴミは
勢いマンションにあるゴミ置き場に
それはもう山となって積まれることになる
今年のゴミ置き場段ボール類の
置き方がいかにも乱雑
畳んで置かなきゃならないのに
もう使いっぱなし置きっぱなし
よっぽど全部畳もうかな?とも思ったけれど
そこまで出来ないのが
何ともきらららしくて情けないところなのだが

そして管理人さんも年が明けて初出勤
ゴミ置き場で「おめでとう」のご挨拶の後
場所が場所だけにゴミの話題になりました

「毎年 お正月はすごいですね」
「ええ まあ年に一度のことです 仕方ありません」
「それにしても
段ボールの置き方今年はひどかったですね」
「ええ そうですね
 もう ここは
ゴミ置き場ではなくてゴミ捨て場ですよ」

妙にこの言葉が私の脳裏に残ってる
我がマンションは築8年くらいになるのかな?
マンション住人も転勤が多い方が多くて
ずいぶん賃貸状態になっている
今ではどなたがマンション住人かはわからない
挨拶してもかえしてくれない方もいる
誰が住んでいるかもわからない
誰がやったかわからない
ゴミ置き場には手数料未払いの
粗大ゴミも良く持ち込まれる
これらの処理は結局管理費から払われるのだが。

ゴミ一つと思われるかもしれないが
段ボール畳んでだすなんて
ほんのちょっとの手間でしょう
片づける人のことまで考えが及ばないのか
その一手間を惜しむ人が多くなってきたのかな?

結局 こんな小さな事でも
人に対する思いやりや
優しさにつながるような気がするな
こんな身近なところに
その人の人間性って現れるのかもしれないね
説教くさいなと思うけれども大事なことかもしれないよ


「もうひとつ あなたの心に 微笑みを」

自分が他の方から自分が変わるきっかけを
与えていただいたから
今度はそれを誰かにお返ししたくなってきた
それが「NICE OF SPEECH 」であり
「HAPPINESS」である

自分の書き表した文字が
全て相手に伝わるとは想わない
むしろ伝わらないことの方が多いだろう
時には偽善者とののしられるときもある
けれど人がどう思おうと
自分の想いであることに変わりはない

人は他人の言葉を読み
その意味を読み、感じ取り
自分の中で消化し
そしてそれがいずれは昇華して
自分の血となり肉となり自分の言葉になる

私の好きな言葉はいくつかあるが
その中のいくつかを紹介しよう

「人は人の心に
幸せの種を蒔く事が出来る素晴らしい生命」
(未明さんのお言葉)

「人と比べるのではなく
昨日の自分と比べよう
昨日より素敵な今日の自分と出会おう」
(元担任のお言葉)

「なれたらいいなっ
なりたい自分になれたらいいねっ」
(宝彩 有菜さんの著書より)

いつかは、わかってもらえると私は信じている
時にはすれ違いもある
けれども歩み寄れることが出来るのも
人間という素晴らしい生命だからこそだと私は想う

本来ホームページとは自分の心を軽くするために
始める人が多いのでは無いだろうか?
しかし いったん立ち上げれば
そこには様々な人が訪れる
その人達全てに受け入れられることは
不可能なのだ

ページは苦しむために作る物ではない
自分の心を吐き出す
自分の心を開放する
そして時には人の気持ちに寄り添い
お互いに温めあえる場所にしたい


自分が間違えたと思ったならば
乗り越えてと私は想う

間違えていないのだったら
そう言う風に感じる人もいると言うことを学びたい

完璧な人間などいない
絶対にいない
だからこそ私達は
上をめざして歩んでいけるのでは無いかと思う

今朝の心情

人の心はどうしてこんなに瞬間瞬間で変化する物なのだろう

凹み悩み立ち直りまた思考を重ねる

揺らぐ心に疲れたときは私はしばし旅をする

言葉の海をさまよい歩く

様々な人の様々な想い

そこで繰り広げられる様々な生き様

人としてのありよう

悩みもがくこと

 それは必要なこと

 さらなるステップアップ

しかし なかなか その一歩にたどり着けない

今の場所にできたくぼみに足を取られ

足をすくわれ

転びそうになる

転んでも良いんだとわかってはいてももがく

何をおそれているのだ

何におびえているのだ

自分は自分 自分のままでは良いではないか

わかってはいても 歩き出せない

しかしそれもまた必然

少し落ち着いて整理しよう

ゆっくり答えの扉を探し出そう


ふぅぅ
なかなか物事が順調に運ばない
余計な手間、しなくて良い作業
心の負担
いろいろ増えていく
辛い


仮想か 現実か
人は生きている
赤い血を体中巡らしながら
熱き想いをたぎらせながら

人は生きている
紛れもなく生きている

私は今パソコンの前にいる
これも紛れもない自分

そしてネットで出逢った人達がいる

何度人に助けられたか
人の情けの暖かさに触れ
どんなにか支えられたか

所詮ネットじゃない
たかがネットじゃない

そう想う人もいるかもしれない

けれども私にとっては
所詮でも たかがでもない

紛れもない人と人とのふれあいなのである

間違えることもある
失言もあるだろう
出来ることは限られているだろう

でも 人は温かい

そして
哀しんでいる仲間
苦しんでいる仲間
辛そうな仲間がいれば

私に出来ることは限られてはいるが
そばに行って
肩を貸したい
胸を貸したい
耳を傾けたい

しかし相手がそれを求めてこないならば
私に出来ること

それは祈ること

祈ることだけしかできないのなら
私は祈る

私にとっては現実もネットも関係ない

大切な仲間である


ストレスを受けやすい自分
最近よく見るページがある
http://irisx.com/index.htm
こちらの心のストレス

ここを見る
その中のケース6
ケース7 ケース8 ケース9
が 当てはまるのかなと想う

完璧主義、向上心が高い人、
しっかりとしていたいという気持ちが強い人、
感受性が強い人、
繊細で周囲に気を使いすぎる
気持ちの切り替え方が下手


真面目タイプは、
執着しすぎて、
ストレスから
身体面や精神面の不調をきたす。

なんだか納得出来るキーワードがたくさん(汗
)

もっとリラックスできたなら
人の言葉に左右されない強さをもてたなら
執着心をもっと少なくできたなら
きっと楽になれるのだろう

でもそんなに簡単に
自分という物を変えられないし
そう言う自分だからこそ
慕ってくれる人もいるのかもしれない


変わった方が良いのかな?と想う自分
でも変われないよと想う自分

変わったら私じゃないよと言う自分
でも今のままでは苦しいよなと想う自分

様々な自分が私の心の中に住んでいる


真実を見抜く目
何が真実で何が嘘なのか
見抜く目養う必要あり


経験
どんないやな事 どんな哀しい事でも
全て必然 全て経験


全て必然
生きてると色々なことがある
良いことも悪いことも
生きているからこその経験
その経験は何かを学び取るために
そこにあるのかもしれない
色々な経験
それは全て必然なのかもしれない
現在の自分に出逢うための
なくてはならなかった
必然だったのかもしれない


人・友達・仲間
もしかしたら意外と想われるかもしれない
もしかしたら当然と想われるかもしれない

私には現実世界で
友達と言える人はいないのかもしれない

1年に1回キリの年賀状でさえ
ほんの数枚

マメで無いせいなのか
おっくうなのか
自分から御茶をしようと誘うこともない

人とつきあうのが嫌いなわけではない
人と話すのは むしろ好きでさえある

しかし何故であろう
私には この人が友であると
自信を持って呼べる人はいない

私が敷居を高くしているのであろうか?
私の話すネタが難解なのであろうか?

人の批判は言いたくもない
聞きたくもない

しかし人と人が集えば
それは、なにゆえか
避けては通れぬ道

私は不満を言うのが好きではない
愚痴愚痴言う人は嫌いである

そうか私は好き嫌いがはっきりしているのだな
ふと そう想う

ネットではこんなにも誰とでも話せ
愚痴もこぼすというのに

やはりネッは仮想現実?

イヤそうは想わない
ネットを通じて知り合った人・人・人

それは大切な友であり仲間である

何故私は現実で友達を作れないのであろう?
本心の心の叫びを話せないのであろう?

今回のことも
共に話せ
共に悩める人がいてくれたならと想う

私は孤独
誰でも孤独

でも救いは冷静な判断
適切な助言をしてくれる
そういう人が一人は、いてくれることだ

様々な心の動き
人の心は一つだけではない
瞬時様々な要素によって
刻々と変化を遂げる
感じる心は素直に表面に現れてくる

嬉しい・楽しい・哀しい・辛い・苦しい
うらやましい・妬ましい
エトセトラ・エトセトラ

人であるからには良い心ばかりとは限らない
醜い心が頭をもたげてくるときもある
それは人として当然であろう
けれど出来ることなら少しでもその醜い心
出逢わないように生きていきたい
もし出逢った時はどこかへ吐き出し
忘れてしまいたい
どうせ生きていくのなら
楽しい心で満たされたい
優しい想いの中にいたい

物事は陽と陰がある
どちらを見つめても生きていける
見える物を見ないようにするのもどうかとは想うが
どちらかを見つめて生きていけるとしたら
光を見ていたい

当然のことであるが
渦中にあるときはそれができない
見失ってしまう自分の心

でも見つけ出したい
自分の本当の想い そして 願いを


人の幸せ
ある方とお話をしていました
その方が楽しそうなので
嬉しいなと言ったところ
人の幸せを喜ぶ人は珍しいと
言われてしまいました
私は はたしてそうなのかなと想いました

私にとっては人が喜んでいる姿
ほほえんでいる姿を見るのは嬉しいことです
こちらまでなんだか心がポカポカしてきます

確かにこうも申します

人の不幸は蜜の味
また他人の幸福が自分と照らし合わせて
とても大きいとそこには
妬みも生まれるのかも知れません
自分と他人を比較して
自分が惨めに想えたりすると
他人の幸福を壊したくなるのかもしれません


けれど 人の不幸を見て笑うより
私は 人の幸福を見て笑いたいと想います
人の幸福を共に喜び
そして 人の哀しみに涙したいと想います
人の愛のメロディーに心澄ましたいと想います

時にその姿はもしかしたら
偽善とみえるかもしれません
けれども私はそうありたいと想います
そうありたいと願います

他人と比べるのではなくて
昨日の自分と比べよう
昨日の自分より一歩でも良い自分と出逢おう
ある教育者のお言葉です


己の敵
久しぶりに?弱音吐いてしまいました

ある人が言っていました
見えない敵を増やすなと
自分の一番の敵は自分の弱さだ

ウン 本当だよね
自分で自分の心に負けていました
私 確かに失敗もしてきました
けれど頑張ってきたのです
それは誉めてあげても良いんだよね

まだ 始まってもいないのに
自分で自分に負けていた
押しつぶされそうになっていました

でも
動き出す前から自分に負けちゃダメだよね


ミカンのお話
聞いたお話です
心理学のお話だそうです

こたつの上にミカンがありました
あるグループのミカンには毎日
「まずそうなミカンだな」と言い続け
あるグループのミカンには毎日
「美味しそうなミカンだな」と言い続けたそうです

そしてそのミカンたちはどうなったか
きっとあなたは予想できましたね
そうなのです

「まずそう」といわれたミカンはすぐ腐ったそうです

お花でも似たようなことを聞いたことがあります

そうなのですよね
何事も誉める
それって大事かもしれないですよね

そして私も思いました

あれっ 私頑張って来たんだ
勿論失敗もしてきたけれどね
誉めてあげていんジャン←単純
図々しく自分を誉めても良いじゃない
誉めれば伸びる
けなせばしおれる

だから自分で自分を誉めることにしました

自己満足 勘違い
まあ色々言い様はあるでしょうが
自分を浮上させる 鼓舞させる
その為には何だってしましょうか

だって 沈んだままでは笑顔なんて出ないから、、、


どんな言葉?
こちらも聞いたお話です

色んな人がいます

こう言って物事を始める人
「きっと上手くいかないだろうな 自信ないな」
こう言う人もいます
「きっと大丈夫 何とかなるよ 上手くいくよ」

結果はどうでしょうか

最初から自信の無い人は結果も芳しくありません
そして 何とかなると きっと上手くいく
そう想った方は結果も良いことが多いそうです

そして両者が言う言葉
それは何故か 同じ言葉

「やっぱりな」

考え方は正反対
けれど最後の言葉は同じ

面白い現象ですね

何事もプラス思考に考えていけば
結果もそれに近くなる

前を見て大きな困難だと
思えることがあったとしても
こちらの気の持ちようひとつで
結果までかえることが出来るのかもしれません

何事もプラス思考でいけたら良いなと
私は思えるようになりました
自分にとってのネット
自分がネットをしてきて良かった点

まず自分の気持ちを
表に出すことが出来るようになった点である
約1年物を書き続け言い続けてきたおかげで
現実世界でも自分の気持ちを正直に
音声として発言できるようになった

そして興味の対象が広がったことである
実は私はネットをするまで花には興味がなかった
写真にも興味がなかった
音楽にも興味がなかった
女としての自分にも興味が無かった

花を愛する人がいた

写真は見て下さる方がいると思えばこそ
撮ることが出来た
撮るときの状況や心情で
写ったその姿が違って見えると言うことも知った

音楽の素晴らしさにも
色々なサイト巡りをしたり実際に出かけていって
音楽に触れ
カラオケをしようという話も持ち上がり
自分の苦手項目を克服しようと言う気持ちも生まれた

女としての自分に興味がなかった頃
私は平気で穴の開いたジーパンを外へ履いていった
髪もとかさず外へ行った
今では少しでも自分が魅力的に見える
服装を探している自分がいる
そして自分に感心を持つことで肌にも潤いが生まれ
外見も若々しく明るく見えるようになってきた
これは何人かの方が私の姿や肌を見て
実際にそう現してくれる

勿論お世辞もあるだろうが
お世辞だけとは私は思いたくない
まあ体型については
大きな課題が残ることも事実ではあるが

そしてこれは長所であろうか?短所であろうか?
人の心に想いがおよぶ様になった

勿論私が誰かの心を傷つけていることも承知である
しかし今まではそんなことにすら
気がつかない自分がいた

そして実際にネットを通して
モニターの向こうにいる人と逢った
様々な人となりを知ることが出来た
色々な立場・境遇の方と触れ合う機会が生まれた
そして様々な価値観を伺うことが出来た

そして人の優しさ・哀しさをこの目でしっかりと
うかがい知ることが出来るようになった

人は本来どんな人にでも
その人なりの優しさがあるのだという事を
肌で感じることが出来た
その人の呼吸から 体温から
想いから 言葉から

人はやはり素敵である
人は素晴らしい

人は間違いを犯す
私もそして誰でもだ

でもそれでもやはり人は素晴らしい
私は人が好きである

多くの人と出逢えたネットに感謝している


ネットの限界
相手の方が心を開いてくれれば
人と実際に逢うことが出来る
又近隣であれば実際に足繁く逢うことも可能である

しかし相手の方がそこまで望んでいなければ
実際に逢いその方の手を握りしめることすらかなわない

相手の安否がいくら気にかかろうとも
相手が知らせてくれなければ
確かめる術もない

どんなにどんなに心配で心痛めていても
相手が今現在息をしているのかどうかすら
確かめられない

そばにいるよ

そんな言葉も空回り

現実には
ずっとその人のそばにはいられない
私には現実の生活もある
私にも大切な家族がいる

ネットの世界の限界を見る想いである

だからその限界の所で私は祈る

どうか心も身体も少しでも健やかであってくれるようにと
自分に出来る力があるとすれば
少しでもその人の支えとなりたいのである

多くの人が支えてくれる人は
その人達に支えて貰えばよい

しかし人知れず心痛め
ひとりで戦っているその人達に
私はほんの少しでも力になりたいのである
支えになりたいのである

自分が支えになれると思うのは
おごりであるかもしれない
けれど
そう願いそう祈る自分が確かにここにいる

ネットには限界がある

けれど祈りには 願いには限界は無い
私はそう想っている
伝えられぬ想い
伝えたい想いたくさん
伝えられぬ想いたくさん
伝えてはいけないと思う想いたくさん
伝わらぬ想いたくさん

結局は私が自分の器以上の物を抱え
それに押しつぶされてしまったと言うことだろう
繰り返すが私は私以上にはなれない

今までの時間も想いも言葉もそして友情も
私は今でも信じている

己の小ささに涙するだけである


前を向いて
伝えなければ伝わるわけもなく
誤解が残ってしまっても仕方がないと思っている
ただ 互いが相手を憎みあったりして
別れるのでは無いのだからそれは救いである

ただ私が受けとめきれなかっただけである

ここの所泣いてばかりいた
色々なことが胸をよぎり
滝のような涙とはこのようなことを言うのかなと
思った物だ

しかしいつまでもメソメソ泣いてばかりいても
仕方がない

互いに見つめる方向は変わってくるだろうが
互いががんばればそれで良いのだろう

後ばかり見つめず
互いに前を向いて歩き出していければと思っている


少しずつ 少しずつ
少しずつ 歩を進めよう
いつまでも かたくなである必要もなく

人は変わり得ぬ物ではない

少しずつ
少しずつでよい
歩き出していこう
前を向いていこう


思いこみ
人は思いこみで動く
何が正しいのかもわからない
どうするのがベストかなんてわからない
人と一緒に活動する 難しいよ


抱きしめて
誰か言葉だけでよいから
私を抱きしめて
私を受けとめて
私を包んで
潰れちゃいそうだよ

全て無くなれ
こんな自分大嫌いだ


きもちわるいよ
昨夜仕事に行った
笑顔も出たけれど時々ボーットして涙出そうになった
コンナコトではクビになるかな?
帰ってきてウイスキーストレートでがぶ飲みした
気がついたら髪と服が自分の汚物で汚れていた

どの位したら自分壊れる?
壊れてしまえ こんな自分
消えてしまえ こんな自分
全てリセットできたなら

ああ キモチワルイ ハハハ・・・

雨に流れてしまったら
いやなこと 全て流れてしまったら
どんなに楽だろうね
でもそんなことは無理

少し雨に打たれてきたよ

それで思ったんだ
後半年経てば楽になれると

時が全てを過去にしてくれる
時を待とうと
後半年の間に私は何度凹むかわからない
けれど時が全てを流してくれるはず

楽しみよりは苦しみの方が大きいけれど
歩いて行かなくちゃね

まだ心も身体も完全復帰までは程遠い
でも もう少し もう少し
そう自分で自分を励ましている

だって 力は無いけれど
私なりに精一杯頑張っているよね?
私悪く無いよね?
ここで私が悪いんだと言われても
辛いけれどね(笑)

自分で自分の汚い側面を見てしまった為か
ここの所立て続けに起こる問題に疲れたのか
人の心の姿にいやになってしまったのか
その日 私は夢を見た

ゴキブリが次から次へと湧いてくる夢であった
久しぶりの夢であった

自分の身に降りかかる多くの問題が
そんな夢を見させたのかなと思う

起きてみても汚いとか怖いとかの
情念は湧いてこなかった

もしかしたら自分が追いつめられているのかな
そんな気がした


灯り
最近の私のバスタイム
照明を消しアロマキャンドルに灯をともす
そしてオイルで自分の身体をマッサージする
自分で自分を癒す時間である

紅く光る灯に息を吹きかける
それは無理に逆らうこともせず
吹きつける空気に身を任せ
やがて流れがおさまれば
また力強くしかし淡々と灯りをともす
静かだけれども逞しい姿を見る想いである

人の心様々に揺れる
しかしいつかは元の姿へ

その灯りに教えられる気がした

苦しいとき 辛いとき
その事だけに浸っていては
余計辛くなるだけである
映画を観たり 音楽に身を浸したり
外で自然の大きさ優しさに慰めて貰ったり
人に甘えてみたり、、、
進んで気分転換を心がけている

下を向いているだけでは何も解決しない
自分に「力」を
「物事に立ち向かうための心の平静」を
与えてあげたい

現実逃避
最近家にいたくない 現実逃避したくてしかたがない

自分では教科書ひとつ片づけられない兄ちゃん
家が汚いと私を非難する
物がなくなれば自分の記憶違いを棚に上げて
すぐ人のせいにする
ゲームばかりしているので外へ出なさいと言えば
それが一番イヤだという
塾は自由時間制なのだがなかなか行こうとしない
私の小言がつい多くなる
私の作る料理は好き嫌いが激しくて自分で食べない癖に
私は手抜きばかりしていると非難する

チビはゲーム以外はする事もなく
マンガを読んだり
ひとりでベーブレード(コマみたいな玩具)をしながら
ああ 退屈だなとこぼす

二人とも学校は楽しくないようである
そして家にいてもなんだかつまらなそうである
外へ遊びに行くこともせず
ストレスの発散も出来ないのであろう
なんだかみんなイライラしている
兄ちゃんが顕著で チビが兄ちゃんに話しかけると
「うるさい!!チビ 黙っていろ」と大声を出す
そんな日常が毎日繰り返される
こんな家庭に安らぎなど無いであろう
二人を見ている私も疲れて気分は落ち込むばかり
そしてネットの中に逃げる
子供達に正面から向き合えない 寄り添えない

以前行ったことのある保健所の講習会での
精神科の先生のお話だが
「子供は親を試しているのです」と聞いたことがある
自分もきっと試されているのだろうなと思う
でも私には受けとめる力もない

現実以外でもネットのことで哀しいことがある
苦しいことがある
どんどんいやな人間になっていく自分を感じるのが辛い

学校のことも不安だらけである

母親の事も心配でもあるし不安だ
でも勇気づけ支えなければ

いろいろなこと私に被さってきて
心穏やかに過ごしたいと思うも現実はそれを許さない

しても無駄とはわかっていても
いや立ち向かわねばと思いながらも
私は家を出て 現実逃避をする

心の中に美しい晴れ間が差すことあるのであろうか

人から見れば些細な悩みかもしれない
けれど今の私にとっては
こんな悩みですら大きな重荷である


兄ちゃん登校拒否にでもなるのかな?
旦那にふと言葉を向ける
月曜だけだろ 調子悪いのは
寝不足だよ そんなに心配することもない

その通りだ 私にも寝不足だろうと思われる

子供のことで問題が起こっても私を責めるでもなく
精一杯子供に向かい対処している旦那
立派な旦那
こんなにちゃんと理解して行動してくれる旦那がいるのに
駄目な私はただ現実から逃げてばかりいる


星空
仕事帰りに夜空を見上げてみた
たくさんの星が美しく蒼く光っていた
こんなに星を見たのは久しぶりだ
この時期は夜空まで澄んでいるのだろうか?
帰り道 多くの星が私を見送ってくれるようで
なんだかとても嬉しかった


もしかしたら
真実は単純で答えは簡単なこと
ただそれを認めたくないだけ
誰かの幸せは誰かの哀しみの上に
成立しているのかもしれない


月を眺めて
冷たい夜風にさらされながら
遠くの月を眺めてみる
そこには いつもと変わらぬ姿
静かに優しく輝く姿

私達が笑っていたとしても 泣いていたとしても
自然界から見れば ほんの一瞬の出来事なんだね

そんな当たり前の事をしみじみと考えた


東京の星
夕食後にいつもの場所
近くのかわらに星を眺めに出かけてみた

道中 今までの事 少し振り返ったりした
いろいろあったけど
嬉しい事も 悲しいこともね
だけど 今こうして静かに当たり前にこの日を迎える事ができる
これが本当の幸せなんだよねと思ったりもした

空を眺めてみる
やはり東京の夜空は明るすぎて
そして 汚れてる

でも じっと目を凝らして見ていると
最初は6つほどしか見えなかった星星が
目が慣れてきた最後には12個まで数える事が
できるようになってきた

そんな星を眺めながら
素適な40代を過ごせれば良いんだよね

そんな思いで帰路に着いた

とても 静かな今日という日
何も無かったように流れていった


私が求めているもの
私は落ち込むとネット上の人に愚痴をこぼします
でも 意見されてかえって心を閉ざすことがままあります
仕舞には、その人との人間関係もフェイドアウトしてしまう時すらあります

カウンセリングのサイトを見ました
そこには、こんな記述が

「一方、話を聞くのが上手なカウンセラーは、
 クライエントの気持ちに、あくまでも寄り添おうとします。」

 http://www.f5.dion.ne.jp/~with/yorisou.htm

「カウンセラーは、便器です。」

 http://www.f5.dion.ne.jp/~with/kaunnseranani.htm

なんとなく 自分の求めているものがわかった気がします

私は人に、相談しているのではなく
カウンセリングされたかったのだと

どんな問題でも何か問題が起こるのは
どちらか一方が間違っているわけではなく
注意された方にも非があります
それは ちゃんと理解しているのです
けれど辛い
その心情をわかってほしいだけなのです

カウンセラーでもないのに 人の愚痴を聞き
仕舞には さようなら
それでは相手の人も立つ瀬がありませんよね

私は、相談する相手を間違えていたようです


ベスト・パートナーになるために

ジョン・グレイ著 大島渚訳を読んでみた
女性と男性は元々異星人で考え方が全く違う
女性が男性に話をする時、
それは「解決策」を求めているのではなくて、
相手に「感情移入」を求め、「理解してもらう事」を望む
それに対して、話された方、すなわち男性は
その話を聞かされるという事は
「自分に相手が解決方法を求めている」と感じ
その内容に「解決策」を述べる
しかし、求めている事が違うのだから
女性は満足するどころか
「自分の話を聞いてくれなかった」と言う不満が残るのだ
なるほどなあと思った
自分も昔 私が少し元気が無さそうな時に
「どうしたの?」と聞かれ
事情を話したのだが、やはりその時も「解決策」を言われ
しかし「私は聞いて欲しく、寄り添って欲しかった」旨を伝えた
その事に対して、またある人が
「愚痴を言われるだけでは、ゴミ箱だ」
「ゴミ箱になりたい人はいない」と言われた
そして その頃より その男性とも
ゴミ箱になりたくないと言った人とも
疎遠になってしまったのだが
この本を読んで自分の感覚が
あながち 変わった物ではなく
多くの女性にありがちな事なのだなと思えた

逆に男性は問題が起こると自分の中で解決する事を求めるそうだ
しかし 女性は事情を知りたくて「どうしたの?」と聞く
それが「おせっかい」に感じると言う
男性は問題を抱えている男性を見ても
「求められない限り」自分の意見を言わない
女性は「聞いてくれるだけで良い」
男性は「どうか ほっといて欲しい 一人にして欲しい」
望む物が違うために互いの心にすれ違いが起きるのだ

本は以降「恋の駆け引き?」とでも取れるような内容が続く
女性は「責める」事よりも「許す」事を学ぼうと
なかなか示唆に富んだ本であった


ストレスとの付き合い方
兄ちゃんは反抗期真っ盛りで
私の矛盾を突いてくる
結構当たっていると言えば言えるんだよね(汗)
だけど 私も認めたくなくて言い返す(滝汗)

自分が弟と比べて甘やかされていない
ずるい エトセトラ・・・
そんな事が毎日何回も繰り返される

少し人に対する思いやりを持てよと思う
時には、
誰の為に、しんどい思いをして働いていると思っているのよ
ふらっと家を飛び出せたならなんて思うこともある
まあ 実際には出来ないけどね

考えてみたら、私ってストレス発散の場所があまり無い
カラオケもしないし、お酒もそんなに飲まなくなった
人の悪口を言ったりも あまり好きではない
好きだった水泳も
職場で落ち込むと通えなくなるのでやめてしまった
後はいろんな掲示板を見て回る
ところが不思議なことに
自分と関係ない事を読んでいると
気持ちが楽になり、先ほどまで泣いたり怒っていた事が
頭の中で薄らいでくる
こうして 少しずつ自分の気持ちを軽くする

翻って、私と言いあいをした兄ちゃんの心はどうなのだろう
ずっと引きずるのだろうか、否か

私は兄ちゃんに人に対して、もう少し思いやりを持てよと言うが
そういう自分が兄ちゃんに対して思いやりを持っていない
これでは悪循環である

自分が疲れているな、余裕が無いなと感じる

悪循環は新たな悪循環を生む
逆もまた真なり

ストレスをうまく逃して優しくなれたらなと、
気持ちだけ、心の中だけで、そう思う
実行できれば苦労はしないが
まずは思うだけでも一歩前進かなと
また 自分を甘やかす